インターネットヌクモリティ
フリーターのとき、食料を送ってくれた人がいた。
家を追い出されたとき、泊めてくれた人がいた。
無職の時、仕事を斡旋しようとしてくれた人がいた。
自己破産をかけようとしているときに、手を差し伸べてくれた人がいた。
おれはいつもインターネットを通して誰かに助けられている。当のおれはずっと一人前になれない父で、いつも何かに責任転嫁をして苦難と向き合わないようにしていた。
今はどうだろうか。断ち切るもの、目を逸らすべきもの、向き合わなければならないもの、すべての区別がついているのだろうか。
生まれて30年も経っているのに未だに全てを育った家庭環境のせいにして、情けなくはないのか。
病気のせいで仕事を辞めた。
仕方なく闇金で借金をした。
お前のせいで上手く生きていけない。
発達だから運動ができない。
身内の紹介で薄給の会社に入った。
誰かのせいで何かを嫌いになった。
仕方なく生まれてしまった。
ヘルニアを直してから仕事に復帰すればよかった。
時間を作って別口で働けばなんとかなる金額だった。
自分のせいで上手く生きることができない。
運動ができないなら努力すればいい。
薄給なら転職すればいい。
誰かに左右される必要はない。
生まれてしまったものは仕方ない。
自分の意志次第でどうにでもなることばかりなのに、何もしていない。
何かをする勇気もなく、現状が変わってしまうことが怖くてしょうがない。
このまま生まれてしまった恥ずかしさに抗えないまま、ダラダラと暮らしていくのだろうか。