虫の息

おれは陽気なカブトムシ

おばあちゃんのおもいで

10歳くらいまでは、祖母のことが大好きだった。古い家のときも新しい家でも半分ではなく上下階に分かれた二世帯住宅で、小学校から帰ってきたあとは祖父母のところでおやつや果物を食べていた。言えばお小遣いをくれるし、誕生日にはなんでも買ってくれた。

 

「おじいちゃんにお顔がそっくりね」と言われ、とてもかわいがられた。今はどう見ても母方似なのだが、後から聞いた話では母方が嫌いだった祖母のこじ付けだったらしい。

 

過保護な祖母は家の目の前にある自販機で飲み物も買わせてくれなかった。「危ないからダメよ、まだ小さいんだから」と、既に小学校高学年のおれに言っていた。
たしかに小学校5年生になっても身長が130㎝前後しかなかったので、いつまでも小さい認識なのはわかる。くわえて祖母の年齢を考えると、おれが5歳だろうが10歳だろうが大差はないのだ。

 

そして小5の終わり、両親が離婚してから過保護な部分を考慮しても好きだった祖母の印象が180度変わってしまった。姉は16歳ごろ家出してしまったので、祖母と父の3人暮らしが始まった。母というストッパーがいないため父の暴力はエスカレートし、おれは毎日泣かされていた。祖母も殴られていたが止めようとはせず、父のいいなりになっていた。

 

金をよこせと言われれば必要な生活費まで気軽に渡してしまい、「あれは家のローンのためにとっておいたのに」と、およそ小学生の孫に話すことではない内容を愚痴られていた。そのため金銭感覚がおかしくなってしまい、食費を節約しなければ生活もできないのかと、徐々に小食になり、高校2年生の時には拒食症になった。

 

生活環境は最悪で、祖母は全くゴミを捨てなかった。冷蔵庫は常にパンパンだったが大半の物は腐っていた。どう見ても腐っている野菜を出されて嫌だと伝えると、翌日には肉だけの料理が出てきた。
何かの拍子にこれ美味しいねと言うと、毎日そのメニューしか出てこなくなった。もう美味しいも不味いも言うまいと、食に関する興味がどんどん失われていった。

 

親父が好きな肉や揚げ物を中心とした生活を続けていった結果、中学に上がったあたりで高脂血症という病気になった。その他ストレスで顎関節症になるなど色々な病気になったが、病院は金がかかると毎日愚痴られていたので(おれのことではないと思うが)全て放置した。ほぼ全歯が虫歯、顎関節症、ニキビだらけという最悪な思春期を過ごした。

 

中学生同士で家庭状況の話はあまり触れないようにするのが基本だったが、高校に上がるとそれぞれの家庭の話はよく耳に入ってきていた。幼少期からずっとおかしな家だなと思っていたが、周囲の話を聞いて初めて正気の沙汰ではないことがわかった。
あぁ、うちはやっぱりおかしかったんだなと自覚してからは醜形恐怖とは別の希死念慮が込みあがってきた。生まれてこなければ、こんな家庭で育ってしまったからと、今でも後悔の気持ちがある。

 

普通の家庭は毎日掃除をしている。普通の家庭は部屋が臭くない。普通の家庭は冷蔵庫の中身が腐っていない。普通の家庭は父親が殴ってこない。
様々な“基準”がおれの中に生まれた。それを祖母に伝えたところ、なぜか笑われた。
父に伝えると、文句があるなら出ていけと言われて殴られた。顎関節症も悪化し、家庭と自分がどんどんキライになっていった。どこにも捌け口がなかったおれは、本格的に自傷行為をするようになった。

 

ケータイで調べてみると同じような境遇の人たち(主に女性)がたくさんいて、†銀血同盟†みたいなめちゃくちゃこじらせてるコミュニティに参加した。
魔法のiらんどで痛いブログを作り、腕を切っている画像や日記を毎日投稿した。コメントで「ゥチもお父さんに殴られてるょ。。。」というメンヘラらしいコメントを付けてくれた人と最初に仲良くなった。自分と同じような人たちがいるのだと嬉しくなった。

 

初めて自傷行為をしたのは中学生で、塾の講義中だった。その頃は抑鬱がひどすぎて誰とも会話ができなくなっていた。しゃべると嫌われるのではないか、自分みたいな人間が気軽に口を開いて良いのかという感情だった。

 

家庭環境が一番悪い時期だったせいだと思うが、感極まったのか爪で腕をえぐっていた。その場でボロボロ泣いていたのを憶えている。それが気持ち悪いと言われ、いじめっ子みたいなやつにさらに腕を掻きむしられたのも憶えている。

 

家庭でも全く会話をせず、黙っていると「うちに何の文句があるの!」と祖母が怒鳴ってきた。文句しかないだろう。父にも殴られていたがフラストレーションが限界に達すると、もはや殴り返していた。祖母のことも殴ったことがある。

 

あまりにもしゃべらない期間が続いたせいか、「お前って自閉症なの?」と父に聞かれたことがある。おれも今や二児の父だが、子供にそんなことを言う時点で人間ではない。
反抗しようと声を出そうとしたが、上手く発声することができなかった。しかも親戚が集まってるときに言われたので、泣きながら自分の部屋に逃げた。

 

キチガイの父を諭すこと諦めたおれは、こいつを育てた祖母が悪いと思い始めた。アンタは母親に向いていないよとキレ散らかしたことがあったが、笑いながら「母親なんて誰でもできるのよ」と一蹴された。もう誰とも口を聞きたくなかった。大好きだった祖母でさえまともな感覚を持ち合わせていなかった。せめて責任を感じていたり、後悔の念を持っていてほしかった。

 

一昨年祖母が死んだとき、憎しみなのか悲しさなのかわからない涙が出てきたと記述したが、今では悔しさだったのではないかと思っている。