虫の息

おれは陽気なカブトムシ

7月

久里浜海岸から北下浦方面に向かって自転車を走らせた。

 

いつか鎌倉に着くのだろうと考えていたが、その思考が浅はかだと気づいたのは、馬堀に着いたころだった。そもそも方面が違う。

 

5,000円のママチャリに後輪用のフットレストを装着し、座席にはケツが痛くならないようにクッションを、トラックが荷締めするときに使う黒いゴムで縛っていた。そこに友人が座る。

 

このまま三崎方面まで行ってしまったら、明るいうちに帰れなくなってしまうことは明白だったが、高校生のおれたちには”なんとかなる”という根拠のない自信があった。

結果その自信は見事に崩れ、何もない海岸で往生することとなった。チャリを捨てて電車で帰るのもありだが、どうにも腑に落ちない気持ちになったのでやめた。いろいろ考えたが、最終的に”酒を飲む”という現実逃避を第一とした案を選んだ。

 

この時代、三浦半島で未成年飲酒など誰にも咎められなかった(今もそうかもしれないが)。夜中に誰かと遊んでいればその仲間内の知り合いや先輩の2ケツ原付き軍団に絡まれたり、いきなり全く知らないやつに声を掛けられてそのまま遊んだりすることは日常だった。今思えばフルフェイスのヘルメットを頭部だけ入ってる状態でかぶるのは物凄くダサかった。フリーザ第三形態か?

 

なんとなく酒を飲んでワイワイやっていればそういった友達(?)が集まってくるのではないかという期待があったのだが、変なカップルがタバコをふかしていただけで誰も来ることはなかった。

とうとうやることが尽き、コンビニ飯で腹を満たすと、久里浜まで帰ろうかという話になった。あまり憶えていないが、日付が変わる頃だったと思う。ここからだと自転車で1時間少々かかり、確実に0時~1時に帰宅することになる。今のテンションでグダグダのまま帰宅するのは御免だった。もはや城ヶ島で一晩過ごしたいくらいだった。

 

とは言ってもこの場から動く他なく、おぼつかない運転でおれたちは海岸沿いを走り始めた。直線で行けば明らかに速いのだが、グーグルマップなどはもちろんなかったので迷うことのない海岸沿いを走ることにした。

 

防波堤やテトラポットの並ぶ道を無限に走っていると、代わり映えのない風景が眠気を誘う。そこで、迷うはずの無かった沿岸を捨て、おれたちは山道への突入を試みた。最初は気合とノリでなんとかなったものの、津久井浜に差し掛かるまでの道のりのなんたることか。最初は平坦でも、徐々に高低差が出てきた。もう野比まではもたなかった。

 

そのとき、通りかかった長沢駅の前に、腰を掛けられるようなドーナッツ型のベンチを見つけた。もうここで休んでしまおうかと思っていたが、すでに先客(ホームレス)がいた。かなり躊躇われたが、もはや帰る体力が残っていなかったので、ホームレスと距離を置いて眠ることにした。7月の晩、とても蒸し暑く、そして臭い夜だった。

 

起床したのは日の出とほぼ同時だったことから午前4時頃だと思われる。駅員が訝しげな顔でおれたちとホームレスを見比べていたのが視線で感じられた。最初は寝たフリをしていたが、かなり気まずかったので足早に長沢駅を出ようとした。

…ところが、チャリがどこにもない。駅員に聞く勇気もなく、そのまま帰ることにした

 

久里浜から長沢駅までは、以前酔っ払って歩いてきたことがある。そのときも同じ(遅れたがクロカワという名の)友人と来たが、チューハイ片手にサッカーボールを蹴りながらどこまで歩けるかというギネスブックもびっくりするようなくだらないことをやっていた。

 そのときも長沢あたりで体力がなくなった。地元では”長沢村”と呼ばれるほど何もない土地で、せいぜいデイリーヤマザキと酒屋がポツンとある程度だった。

 

歩きながらそんなことを思い出していた。朝日が眩しく、二日酔いのうえ野宿した体にはこたえた。ようやく久里浜に着くと、駅前のマックで泥のように眠り、家へは帰らなかった。集団生活が嫌いで学校をサボってはそんなことをしていたおれたちだった。