虫の息

おれは陽気なカブトムシ

7月21日

 

25年前の7月。

 

チャイムが鳴り、ランドセルと道具箱のほかにもピアニカや体操着、最後はアサガオの鉢を抱えることになったおれは、フル装備のスコープドッグのようになっていた。

 

「当日までに少しずつ持って帰らなきゃいけないって言ったのに」と母に叱られた。そんなことは知っているが、毎日放課後に友だちと遊ぶためには重装備では走り回ることすらできなかった。

 

“ゾウの時間ネズミの時間”という話があるように、脈の速いネズミにとってはたった20日間でも生涯を遂げるほど長く感じてしまう。したがって小学校1年生にとって夏休みはとても長い。

 

初日からさっそく遊ぶ約束をしていた友だちの家に向かった。

父親のパソコンバッグにNintendo64とカセットを入れてチャリのカゴに乗せる。後輪には二人乗りが出来るように謎の棒(名前がわからない)をつけていた。

 

クラスメイトの「マサキ」の家には64が無い。スーファミセガサターンで遊ぶのは限界があり、トレンドである64を持ってきてほしいといつもお願いされていた。他の所持品といえばゲームボーイと通信ケーブル、水筒とタオルくらいだった。

 

マサキは1学期からいじめられ気味で、おれが持っている通信ケーブルはマサキからパクったものだった。マサキという名前なので、ポケモンのネタを振ると「ポケモンちゃうわいw」と作中のマサキの真似をしてくれた。しかも弟の名前が「サトシ」なので、非常にポケモンネタと親和性のある兄弟だった。

 

バンジョーとカズーイの大冒険”を死んだら交代制でプレイしていると、約束していたもう1人の友だち「ナオキ」が遊びに来た。ナオキはメガネ+天パというオタクフェイスなのだが、見た目に反して全然オタクじゃないかわいそうな奴だった。

 

ナオキはかなり甘やかされて育っているので、ちょいちょい理不尽なワガママを挟んでくる。いきなり「ゲーム終わったら海に泳ぎに行こうぜ」などと言われても、お前は海岸沿いのマンションに住んでいるけどおれはチャリで30分なんだよと言いたくなる。スマブラでもすぐにリセットしてくるし、ちょっと苦手なタイプだった。

 

マサキの家はクーラーの効きが悪く、お母さんが出してくれた麦茶の氷がすぐに溶けてしまった。伝う汗が指に滴り、コントローラーが滑る。崖外で空後を出していたピカチュウがセクターZの下に落ちてゲームセットとなった。

 

ナオキが発案した海水浴は暗黙の了解によって淘汰され、近所の駄菓子屋へ向かった。

ここの駄菓子屋のばあさんはボケていて、いくらでも万引きできる。

ブタメンは「当たりが出た」といえば永久機関と化した。友だちの当たりをたくさん集めて持っていったこともあるが、数年後には潰れてしまったので悪いことをしたなと思う。

 

横須賀市久里浜にはペリー公園という黒船来航を記念した公園がある。浦賀に来たと言われているが、昔は久里浜浦賀の一部であり、現在の久里浜海岸あたりに来航したと聞いている(諸説ある)。

 

公園敷地内の“ペリー記念館”の隣には屋根付きのベンチがあり、いつもホームレスが寝ていた。ホームレスにちょっかいを出すのは地元の小学生の度胸試しであり、数名が集まると誰かしらがホームレスに対する嫌がらせを提案してくる。

同じクラスの奴がエアガンを発砲しているのを見たことがあるが、おれたちにそんな度胸はない。一度ホームレスが持っていたカバンを持って逃げたことがあるが、隣町付近まで追いかけてきてめちゃくちゃ怖かったので挑発は自粛することにしていた。

 

ペリー公園でサッカーをしていたら、やっぱり海に行きたくなってしまった。といってもペリー公園は久里浜海岸の目の前である。

熱い岸壁に座り、海と空を仰ぎながら駄菓子屋でパクったゼリーを飲む。上に開け口があるのに、底の部分を噛み切って飲んでしまうのは小学生のサガなのかもしれない。

 

目に入る汗と蜃気楼で、真っ直ぐなはずの岸壁は大きく歪んで見えた。17時、夕焼けを見るためにはあと2時間はかかるので、おれたちはそれぞれの帰路につくこととした。

 

自転車のサドルが熱い。晩ごはんは何だろう。今日はポケモンがやってる日だっけ。明日は早く起きてビーダマンで遊ぼう。帰り道はいつも暑さと楽しみに溢れていた。

 

 

もう、横須賀に帰る理由も居場所もなくなってしまった。

今年も久里浜の海は暑いだろうか。