虫の息

おれは陽気なカブトムシ

失われた2年間

2年間だけ、一人暮らしをしていた時期がある。

 

姉と姪っ子と3人で暮らしていたとき、姉が再婚し身籠ったことをきっかけに独り立ちすることを決めた。姉自身も手伝ってくれた。

 

3年ほどバイトとして勤めていた喫茶店を辞め、なるべく都会に近いところで働こうとしていた。まずは賃貸を探した。

 

「都内で安いアパートってないですか」

「風呂ないしトイレ共同だけど大丈夫?」

 

こういうくだりを数回続けたが、結局都内は諦め、横浜市内でなるべくアクセスの良い場所を選んだ。紹介された建物の住所は4と9が並び、部屋は煩悩の数字である”108”号室だった。不謹慎厨なのでここしかないなと思い住んでみたものの、警察から以前住んでいた韓国人らしき人宛てに黄色い封筒が来るし、夜中には変な声が響いていた。どう考えても事故物件だったが、他室と比べて1万円くらい安いし、月収7万しか稼いでいなかったおれには何でもよかった。

 

月収およそ7万のフリーターがどうやって5万6千円の賃貸に住んでいたか教えよう。

 

まず冷蔵庫がない。常備菜のみを買い、どうしても生モノが食べたくなったらその日のうちに調理する。玉ねぎ・にんじん・じゃがいも以外は滅多に食べなかったので、1日分の野菜を毎日飲んでいたが、あくまでも栄養価を補うためのものらしく栄養失調になったことがある。1日分の野菜を名乗るのをやめた方がいいと思う。

 

肉類は皮膚がめくれてきたり貧血気味の時にしか買わない。基本はフォロワーのメンヘラから送られてきたパスタなどの保存食で凌いでいた。賃貸に住んでいるのに登山用の非常食が送られてきたこともある。

 

炊飯器もなかったので1合分を電子レンジで炊けるタッパーのようなものを100均で買った。米は貴重であり、夜に1合しか食べなかった。そのせいで体重はみるみる減り、最終的には43kgくらいになった。

 

洗濯機はなく、風呂場で手洗いしていた。タオル等はそのまま干すと武器になるくらい硬かった。

 

光熱費は極限までケチっていたため照明はつけず、夕方以降はパソコンの明かりが部屋を照らしていた。そのため間違えてタバコのフィルターを燃やしてしまったことが多々ある。

 

低所得層あるあるとしては、いくら貧困でもタバコと酒は切らさないということ。栄養失調になったときもタバコは吸っていた。

 

電気  3,000円

ガス  2,000円

水道  3,000円

ネット 1,500円

 

限界まで節約していたつもりだが、ここに家賃を足すと食費を出すとほとんど余らない。しかも確実に7万を稼いでいたわけではないし、夕飯しか食べない時期もあった。昼食は値引きされた50円の菓子パンだけだった。

 

心身共に披露していたのでそのバイトも3ヶ月程度で辞めてしまい、ほとんど会ったこともない女性に資金を出してもらうなど、最悪な生活を送っていた。後半になると踏み倒していた分の家賃や奨学金が払えない金額になり、女性の親に全てを工面してもらい凌ぐことができた。

 

今までよく生きてきたなといつも思う。死にたかったから周りに感謝したいとかはないけど、持って生まれた悪運の強さだけでここまで来れたのだと思うと親に感謝したい。いやむしろ恨んでいるが。

 

金もない、性格も悪い、体は虚弱。しかし家族だけはいつもくだらないことで笑っていてほしいなと思う。

笑顔の無い家庭で育ったので。