虫の息

おれは陽気なカブトムシ

12歳の頃だった。

離婚をしたばかりで親父が狂い、祖母がボケ始めた。まぁ元から狂っていたのだが、当時のおれは気づかなかった。

 

親父が寂しさを埋めるために犬を飼いたいと言い出した。面倒くさいし親父に世話ができるわけがないのでやめろと言ったが、翌日には連れてきた。

 

1か月程度は何事もなかったが、しばらくして重度のアレルギーを持っていることが分かった。アレルギーの配慮食に月々1万くらいかかるのだが、祖母は金がないと言って適当なドッグフードを与えていた。もちろん症状が出るのですぐに病院送りとなった。金がかかることがわかると、祖母はすぐに臭い物扱いをするようになった。

 

犬に全くしつけをしないので、至る所に排泄するようになってしまった。親父はどうしてわからないのだと暴力を振るうようになった。殴ったり蹴り飛ばすことでしかわからせる術を知らないのだから仕方ない。幼いなりに調べたがこれは逆効果であり、自分が子犬のように弱いものだとアピールするためにこのようになるということだった。したがって最悪のループに入ってしまい、見ている方もおかしくなりそうだった。

 

犬は少し手を振り上げるだけで震えるようになったが、虐げられている者同士おれとは信頼関係があった(と思っている)。思春期のおれにとって散歩をする時間は友達との時間が潰れるので少々邪険にしてしまっていた時期もあるが、年々躁鬱が悪化してきたせいもあり、友人よりも犬との時間を大事にするようになった。休日の朝、散歩をしているときのことだった。

 

10年ぶりに姉から電話が来た。実家を捨てて一緒に住まないかということだった。これは人生を変えるチャンスだと思い、勇気を出して親父に伝えてみると、あっさりOKされた。これは親父の特性なのだが、一度許したことに対して後から異常なまでの激昂を見せる。案の定このときもいきなり殴られ、犬と一緒に家を出ていけと言われた。自分が勝手に買ったくせに犬も要らないのかと悲しくなったが、近所の人にお金を借り、寝巻のままタクシーで姉の家に向かった。

 

横須賀には訳アリの人間が多い。そのせいかタクシーの運転手も黙って乗せてくれて、お代はいらないからがんばれよと最後に一言励まされた。

 

さて、無一文で着る服もない。これからどうしようかと思っていると、家に着くなり姉は服屋と美容室に連れて行ってくれた。犬も綺麗にトリミングし、一気に垢抜けたようになった。

 

17歳からキャバ嬢をやっていた姉は、出産してすぐ中国人の旦那と別れ、すぐに復帰して荒稼ぎしているとのことだった。姉と姪っ子と3人で住むことになったが、毎日違う男性が家に来る生活にしばらく慣れなかった。

 

そのうち若い兄ちゃんが住み着くようになり、毎日アドホックでモンハンをしたり、楽しい生活が始まった。そして姉と暮らして4年が経つころ、親父から犬だけでも返してほしいと姉に電話があった。

 

ほとぼりが冷めていたし、姉の家を出て一人で生活する予定だったので、もう暴力は振るわないという約束で返してしまった。冷静に考えて一度出ていけと言ったのによく電話をしてくるなと思う。約束をしたところで守ってくれるわけはないだろうが、どうしようもなかった。当時フリーターだったので犬を飼える賃貸に住める資金も、世話をする時間もなかった。

 

一人暮らしをしたあとに結婚し、おれは東北で暮らし始めた。犬は13歳で病死したと聞いていたが、実際は治療する金がなく、医者にもらった薬で安楽死させたらしい。摘出すれば治る病気だった。

 

大好きだったよ、スキップ。