虫の息

おれは陽気なカブトムシ

チャリ

横須賀を捨てた。

 

チャリで来たとか地元LOVEとかいうプリクラがよくあるが、おれもその類のガキだった。

 

京急久里浜から横浜駅までチャリで走った時、小学生だったので半日はかかったと思う。帰る気力がなくなり、そのへんに投げ捨てて電車で帰った。どうせパクったチャリだった。

 

逆に平成町まで歩いたときは電車がないので、LIVINの駐車場でカギのかかっていないチャリを必死に探し、無理やり二人乗りで帰った。3人で行ったせいで不運にもじゃんけんで負けてしまった砂川くんは走って帰ることとなった。

 

うちは京急線が走るガードレール沿いにあった。3階建ての家がガードレールに密接していたので、その下は雨風が凌げるちょうどいい溜まり場となっていた。そんなところに溜まる人間は想像がつくと思うが、金髪半ヘル原付2ケツという感じの中高生だったので、そのへんにパクっていらなくなったチャリを捨てておくとハンドルをカマキリにして勝手に持って行ってくれた。

ただ夜中にタイマンを張ったりシンナーか何かでラリるのはうるさいからやめてほしかった。

 

とにかくチャリがパクられる街で、もちろん自分のチャリもよくパクられていた。一度だけ盗まれたチャリが帰ったことがあったが、後輪が潰れ、サドルの上には焼きそばにカツオ節をかけたような謎の食べ物が置いてあった。気持ち悪いのでそのまま放置していたらいつの間にか撤去されていたが、酔っ払った親父がそのまま乗ってどこかに置いてきたと後から聞いた。

 

中学校進学に伴い久々に金を出してチャリを買った。坂道の上にあるプラモ屋、30分かけてようやく辿り着くゲーム屋、店のばあちゃんがボケているので何でもパクれる駄菓子屋。このチャリは相当酷使したと思う。

高校へ通うまで使ったが、サドルが抜かれたことによりまた新しくチャリを買った。3速のママチャリだったが、一気に変速しようとすると必ずチェーンが外れるポンコツだった。チェーンが外れたときは徒歩で通学している友達とチャリを押しながら帰った。逆に調子が良いときは海沿いを全力で飛ばしながら帰った。

 

チャリがあってこその青春であり、それでこその横須賀だったと思う。

 

所帯を持ってから車で横須賀に帰ったことがある。

 

あれ、横浜までってこんなに近かったっけ。