虫の息

おれは陽気なカブトムシ

破壊

毎日幼馴染とサッカーをしていた。

幼稚園のころからほぼ毎日遊んでいて、小学生になったらサッカーを習いたいと親父に言っていた。

 

小学校2年生になり、親父がサッカーを習わせてやるというので喜んでグラウンドに行くと、なぜかバットとグローブが置いてあった。

 

「おれの息子なんだから野球をやれ」

と言われた。その場で泣き叫び、絶対にやらないという意思表示をしたが、それは一発の拳によりかき消された。家に帰ったあともゴネたが、親子の縁を切るぞと非常に頭の悪いことを言われた。

 

泣きながら練習をしていると、同じチームであろう同級生がグラウンドに来たので、さすがに泣くのはやめた。野球なんてルールすら知らないし、投げ方も打ち方も一切わからなかった。

 

それからは以前にも増して地獄のような日々だった。ボールを上手く投げられないとバットで叩かれ、連続でノックを捕球できないと最初からやり直し。イライラすると取れないようなライナーを打ってきた。

 

こうした意味があるのかどうかもわからない練習を、親父が帰ってくる20時から24時までやっていた。しかも練習場所は家の前で、地面はコンクリートだった。

それでも親父は飛び込め、スライディングしろと言った。やらなければボールを投げつけられたが、硬い地面に飛び込んだ時はボールよりも遥かに痛かった。

 

8歳にして深夜に眠る生活となった。朝は起きられるわけがなく、次第に自律神経にも変化が現れ、まもなくひどいチック症になった。

 

最初はビートたけしのように片方の肩が上がった。身内におかしいと言われて我慢していたら、今度は石原慎太郎のように強く瞬きするようになった。閉じるのを我慢していたら過剰に見開くようになり、それもおかしいと言われ、、手の指をカチカチ慣らす奇妙な癖がついてしまった。しかしこれは誰にも咎められることがなかったので、なんと現在まで継続している。イメージとしてはMONSTERのルンゲ警部のような感じ。

 

心配した母が小児科へ連れて行ってくれた。その時にチック症の診断が出たのだが、それを父親に伝えても怒ったり殴ったりする一方だった。かなり激しい家庭環境になり、小学校2年生から4年生くらいまでの記憶がほとんど抜け落ちている。完全に記憶を取り戻したらPTSDか何かで死んでしまうのではないかくらい思っているので、無い物は無いままでいい。見なくていい物もある。

 

「毎日子供の泣き叫ぶ声が聞こえる」と近所から通報され、警察が来たこともあった。当時おれは偉い子だったので警察に「これは僕が好きでやってるんだ」と話したらしい。こうした子供の気遣いが世の虐待児を見つかりにくくしている原因なのだろうなと思う。犬ですら虐待されても最初の飼い主には無償の愛情を持つと聞く。

 

この話は氷山の一角に過ぎず、姉がボコボコに殴られて家出したり、母が児童相談所に連絡しようとしたら蹴られたなど様々なことがあった(らしい)。

 

最後は見兼ねた母が一緒に精神科に行こうと親父に言ったところ、頭がおかしいと言うのかと叫んで暴れ、母から離婚を申し出たと、十数年ぶりに会った母から直接聞いた。

 

中学のころ、人格障害と家庭環境の相関性についての論文を書いたことがある。マーガレット=マーラーによれば幼児期に出来た基盤はそのまま青年期まで引き継がれ、潜在意識の中でもその過程や記憶は人格を左右すると文献にあった。

 

おれの基盤は破壊され、歪んだまま大人になってしまった。腕の傷を子どもに指摘されたこともあるが、「昔トラと闘う仕事をしてたんだよ」と伝えたところ、「すごいね!」と言われた。妻は爆笑していた。楽しい家庭を築けたことが、おれにとっての新しい基盤になってほしいと心から思う。