虫の息

おれは陽気なカブトムシ

横須賀LOVERS

 

正月、友人から頻繁に連絡や報告を受けていたこともあり、家族を置いて横須賀へ帰った。

 

祖母が死んだとき以来、故郷である横須賀へ帰ったことはない。そのときも葬儀のためだけに帰ったので、友人と顔を合わせることなどはなかった。

家族には絶対止められると思い、半無理やり高速バスを予約してしまった。

 

1月1日の23時ごろ、汚いおじさんたちや風属性っぽい女などが乗った高速バスに揺られ、仙台駅を出発した。その間はファイアーエムブレム風花雪月をやっていたので、7時間などあっという間に過ぎた。

 

横浜駅港北区~みなとみらい地区>

1月2日6時半、横浜駅東口に到着した。数年ぶりの横浜駅だったが、体は憶えているようで迷うこと無く東横線に乗ることができた。

横須賀へ帰るなら京急だろ、と思うかもしれないが、おれには寄らねばならぬ街があった。

 

綱島」…。ヤクザと新興宗教と慶応のクソ学生で溢れる街。

かつて多くのメンヘラを連れ込んだり、悪いことに手を出したり、河川敷で泣いたりした想い出の街だった。ここに住んでいたのは2年半だが、そんな短期間だったとは思えないほどの深い想い出がたくさんある。

 

まずは東北には少ない“松屋”を目指した。別にどこでもよかったが、早朝に食べる松屋の感覚をどうしても味わいたかった。やっぱり松屋の味噌汁は雑で美味い。

次に河川敷でタバコを吸いながら、以前住んでいたマンションを目指した。相変わらずキレイなのか汚いのかわからない町並みは、電脳コイルなどのアニメに出てきそうで胸が熱くなる。

 

綱島街道を歩き、ローソンに買収?されたスリーエフを抜け、新幹線が走る高架線沿いを歩き、目的地に着いた。

寂れた雰囲気は全く色褪せず(建物は色褪せているが)、なんとなく写真を1枚撮ると満足してしまった。中を覗き込んだりしては不審者だと思われるので、もう少し見たかったがそのまま通り過ぎることにした。

 

これだけのために東横線に乗ったの?という声が聞こえてきそうだが、これだけのために乗った。ついでにみなとみらい方面にも行ったが、中華街もワールドポーターズも人が歩いていなかった。赤レンガ倉庫は休館、中華街は12時頃から店が開き始めるらしく、お土産が買えないことにかなりイライラしていたが、誰もいない中華街という貴重な写真を撮ることができたので良しとした。

 

桜木町から京浜東北線横浜駅へ戻り、西口のドトールで休憩した。買い物やらなんやらいろいろやりたいことがあったが、車社会での生活に慣れすぎて足が追いついてこなかったので、あきらめて姉の家へ向かうことにした。

 

横浜駅金沢区久里浜

姉家族の住居は横浜市のギリギリにあり、限りなく横須賀寄りにある。そのため横須賀へ行きがてら、久々に顔を出すことにした。

まとめてお年玉を上げると、低所得のおれが姪っ子たちのために金を持ってきたことに驚かれた。さすがに30歳を過ぎてお年玉すら出さないのはどうかと思っただけなのに。

 

一番会いたかった長女は旅行で不在だったので、ほぼ面識のない次女と三女と遊んだ。海外にいる母から電子マネーのプレゼントがあり、みんなでピザをとってはしゃぎ、現在や今後のことについて話し合った。

夕方を過ぎると旧友たちがアトレーワゴンのような業者向けの車で迎えに来たので、姉宅をあとにした。

 

車には小学生から仲の良かった2人が乗っていた。

「すげえ、本物じゃん」と言われたのは、数年間ビデオ通話でしか話していなかったせいだ。VRで売り出すから買えよと言ったら、100円でも売れないぞと酷いリプライが返ってきた。久しぶりに会った旧友との会話とはとても思えない。しかもこいつに限ってはおよそ15年ぶりだった。

 

車内で昔話に花を咲かせていると、友人Aの家に着いた。車を停めたので近くに家があると思いきや、住宅自体は山の上にあると言う。

いつ着くのか、と到着するまでに4回くらい聞いたと思う。山を荒く削って強制的に住宅地にしたような場所で、人がちょうど1人通れる幅の舗装された急斜面が、うねるように頂上へ続いていた。

 

必死の思いで15分くらい登ると、大きな平屋作りの家が見えてきた。脇に置いてある原付バイクは、今歩いてきた険しい駐車場までの道を登り降りするためのものらしい。舗装されているとはいえ、相当な運転技術を要すると思うが。

なかなか広い庭の端には犬小屋を大きくしたような謎のプレハブが建っていた。

 

<友人A宅>

この家、聞けば家主から500万程度で譲ってもらったそうで、家をもらうまではヤクザ絡みの借金を返すため家主の監視の元で無賃労働をして、しばらく先ほどのプレハブに住んでいたらしい。ウシジマくんみたいな世界が横須賀にはあるのだ。そもそも家主はヤバい奴じゃないのか?

 

いろんな疑問があったが、おれと会っていなかった7,8年のうちに彼の人生も彼自身も大きく変わったらしい。今までのような横暴さはなく、あくまでも自分の弱みを知った上で人に意見を述べてくる姿勢は別人としか思えなかった。以前の傍若無人な発言を黒歴史ではなくネタとしてブチ込んでくるところも強いなと思う。

 

<友人Bの話>

もう1人は元大手チェーンの店長で、つい最近自殺未遂をしたと言われてびっくりした。

仕事中に自分でもどうしたら良いのかわからない事象が多発し、自転車で通勤しながら色々考えているうちに知らない街へと辿り着いたらしい。

どう足掻いても業務開始時間に間に合わないが、仕事に行かなければならないというジレンマに駆られた彼は「このまま海にダイブすれば仕事に行かなくて済む」と、たまにドキュメンタリー番組で見るような思考に至り、実行した瞬間に対向車のトラックにクラクションを鳴らされて我に返ったそうだ。

 

こういう働き方をするタイプではないので、ここに至るまでの事情を聞いたら、夢はたくさんあるのに実行できず、結局フリーターの成り上がりで何年も働いていて苦しかったと胸の内を語った。

父はエリート警察官、兄はニート、その狭間で兄のようになりたくないけど父のようにはなれないという心境は、自分にもわかる気がした。

 

しかし彼はこの出来事をきっかけに自分の弱さやできることのキャパシティを知ることができたわけで、決して何も収穫がなかったわけではない。主観的な問題ではなく、人生の中での仕事の役割というのは豊かに暮らすための材料にしかすぎないという根本的な概念を再認識したと言っていた。

 

こうしてそれぞれが稀有な体験をし、意味のわからない育ち方をしたから意味のわからない生き方をしてしまったのだという結論に至った。経験論的にまともな育ち方をして大学から社会人、結婚して家を建てたという人間はこんな生き方をしていない。

 

おれたちにとっての“普通”とは如何に憧れるべき存在だったかという議題で3時間くらい話し合った。その中で“普通”のままステップアップして所帯を持った友人Cの話になった。Cの生活水準は、誰しもが子どもの頃に思っていたスタンダードを現実のものにしていた。

 

<友人C>

Cの話をすると、普通すぎて本当に面白くない。小学校から中学校までやや色白の中背という感じで、学力も運動も全国平均を多少上下する程度だった。足は速くも遅くもない。性格はとてもおおらかだが、怒るポイントはちゃんとある。チャリをパクったりいじめられっ子のいじめに参加するなど、横須賀キッズとしては平均的な悪いこともする。

普通なんていうものは実際に存在しないが、誰が見ても“普通”と思ってしまうほど平均的だった。

 

高校から大学までは学校が違ったのでわからないが、突然ラグビーやアメフトを始めて肉体改造に目覚めたらしい。その後は就職浪人を数年したそうだが、ちゃんと自分でアルバイトをして家賃を収め、資格試験のお金まで揃えて公務員になったというのだから文句のつけようもない。

 

夢であった国家公務員になり、結婚して家を建てて子供もいる。大げさかもしれないが、これはこの国が目指すべきスタンダードなのではないかと思う。“普通”が面白くないという偏見がなんとなく根付いているが、“普通”を実現させることの難しさ、そして“普通”の中身は意識して育てることのできないものだと、おれたちはこの歳まで知ることができなかった。同時に、数値に依存する事柄以外で、普通や異常という概念は想像の中にしか存在しないという哲学の真理にも辿り着くことができたのだった。

 

<横須賀~仙台>

1月3日夕方ごろ、横須賀中央から品川まで京急でのぼった。品川から東京駅までは外回りと内回りどっちが近いのかという関東の予備知識は、すでに失われていたようだった(実際めちゃくちゃ困った)。

 

東北新幹線は30分以上遅れていたおかげでおれが乗ろうとしていた新幹線よりも前にいた仙台行きに乗ることができた。みどりの窓口では西へ帰る連中の行列ができていて、中年男性がきっぷ売り場のお姉さんに激しく怒鳴っていた。

 

駅弁を食べたかったが、帰省ラッシュのせいか見る見るうちに売り切れていく。仕方なく“世界一のバリスタ”で我慢しようと思って自販機を押したら、全く違う激マズコーヒーが出てきて更に疲れてしまった。

 

眠い、ひたすらに眠い。うんこをしたいのに隣のオタクがずっとゲームをしていて出づらいし、そもそも眠いのでトイレにすら面倒だった。ファイアーエムブレム風花雪月はスイッチの充電が切れてできなくなってしまった。

 

2時間弱で仙台駅に到着し、改札口付近には子どもたちが待ってくれていた。

「パパおかえり!」「ただいま」

これも“普通”のひとつなのかもしれないな、と思った。

なんとなくその流れで電車に乗ってしまったので、うんこは北仙台まで我慢した。

 

 

<番外編~横須賀豆知識~>

 

横須賀には遊ぶところがないので、夜の学生は…

 

・ヴェルニー公園で酒を飲む

・学校に侵入する

・サッカーボールのパスパスで車道を走る

・意味もなくダイエー(現コースカ)にたまる

・友達の家にたまる

・浜辺で喫煙

・神社でセックス

 

くらいしかやることがありません。

 

まともな店もないので、今回もお土産を探しに各地を回ったところ、時代遅れの艦これグッズしか置いていませんでした。

ちなみにご当地キャラの名前を知らなかったので、「スカくん」と「トロちゃん」じゃね?とおれがふざけて言ったらみんな笑いましたが、実際は水道局?のキャラ「スカリン」と、カレーを持ったカモメの水兵「スカレー」でした。スカレーはアウトじゃないかという話で小一時間笑ってました。

 

 

 

 

夢と現実の狭間

次の日が長男の誕生日だったので、少し良いペンションに泊まった。

その日は今年初めて雪が本降りとなった。北へ進むに連れ風が強くなり、到着する2,30分前あたりから、車は吹雪の中を突き進んでいた。

 

17時からの予約だったが、16時前には黒色を塗ったような視界に粉雪が横殴りになびいていた。

中古のネイキッドにフォグランプは無く、ハイビームだと雪しか映らないので通常ライトの方が安定するという不思議な状況の中、なんとか目的地に到着することができた。

 

受付をしようとすると、気の良い元気なお姉さんが裏口から出てきた。

オーナーという歳ではなさそうなので、管理者が外出中か、親族か、その妻といったところだろう。

お姉さんに細かく説明されながら今流行りの装飾が施されたBARスペースや大広間を通り過ぎ、階段を登ると寝室についた。

 

全体的にキャンパーや登山家が好きそうなスタイルで、階段を上がるまではドルトン柄のラグマットや、大型の薪ストーブなどが配置されていて、“mont-bellの会員証があると割引!”のような札が置いてあった。コールマン派で悪かったな。

 

寝室前には屋根の形に合わせた空間があり、テーブルや可愛らしいイスに、少量だが本なども置いてあった。ムーミンのフィギュアがたくさんあったが、フローレンの横にベジータを並べるのはどうかと思う。

吹雪のため宿泊客は2組のみで、隣室には40代前後であろう夫婦だかカップルだかわからないペアが泊まっていた。

 

時間帯的に食事のタイミングが被るので、うるさい子連れと高慢ちきな40代ペアが同じ食堂にいるという最悪なディナータイムを過ごした。ちなみにペアの女の方がビタミンCの摂取メカニズムについて長時間熱弁していて、男の方はうんざりしているようだった。

 

その2人を見ながらの食事は最悪だったが、料理の内容は最高だった。大根とリーフレタスのサラダ、ミニグラタン、硬すぎないバケット、ラムのシチュー、デザートはクリームブリュレ(だと思う)。

ラム肉はとてもよく煮込んでいて、ナイフを使うのをやめた。野菜もシチューらしく大きめに切り揃えられ、食べやすいように皮を炙ったであろうヤーコンの薄切りは想像以上にシチューと相性が良かった。

 

こんなことを記していると低所得層が優雅に過ごしてんじゃねえよと思うかもしれないが、隣では1歳児が無限に食べ物を撒き散らし、前席では肉以外に手を付けない6歳児が妻に叱られていたので安心してほしい。

オシャレな食堂で、終始ガチャガチャと子どもたちが音を立てていたので、40代ペアはビールをあおると足早に出ていった。

 

食事が終わると陰湿なおれたちは寝室へ直行した。長男は誕生日プレゼントに買ったタブレット(Fire HD 8)を使ってファーブルの昆虫採集アプリに没頭し、次男はとくに何をするわけでもなくはしゃぎまわっていた。

おれはファイアーエムブレム風花雪月でシルヴァンとフェリクスのホモ絡みを眺め、12時を回ると長男に“ハッピーバースデイ”を歌い、潔く寝た。

 

もう10年近く、まともにベッドで寝ていなかった。初めて見る木製の2段ベッドで騒ぐ子どもたち、雪が降る小窓を見ながら横になる心地よさ、寝っ転がって誕生日プレゼントを見ながら会話をする楽しさ。全てが懐かしく、自分が失った感覚だと思えた。

この“余裕”が人を豊かにし、そして“余裕”はある程度金で賄えてしまうことをおれは知っている。

途中で目がさめて、そんな下らないことを思いながら明日の予定を考えていた。

 

翌朝、心地よく起床した。窓から見る雪原は朝焼けで照らされ、山は黄みがかったオレンジ色に染まっていた。タバコを吸いに外へ出ると、昨日のお姉さんが一人で雪かきしていた。手伝おうかと思ったが、客らしく子どもと雪だるまを作ることにした。

 

さらさらした積もりたての雪は、大きな雪玉にするのが難しい。東北へ来て6年だが、未だに上手く丸められない。小一時間かけて子どもの身長の半分ほどしかない雪だるまを作り終え、張り切っていたおれにはバツが悪かったが、長男は満足したようだった。

 

食堂へ行くと隣室の女がまたビタミンの話をしていた。暴れん坊の次男はというと今朝は機嫌がよかったらしく、食べ物を投げることもなかったので、比較的静かに朝の時間を過ごすことができた。

 

帰ろうとすると例のお姉さんが「帰りはどうするんですか」と声をかけてきた。家で誕生日ケーキを食べてのんびり過ごそうとしていることを伝えると、周辺施設の魅力について語り始めた。おれはすでに玄関ドアへ手を伸ばしていたので気まずく、なんとなく話題に食いついたフリをして手を離した。

やっぱりこういうタイプは苦手だなと再認識した。

 

結局帰ってからはのんびりして、ピザとケーキを食べたら誕生日が終わってしまった。

ペンション自体が住みたいと思っていたような理想の作りだったので、汚いアパートに帰った途端、一気にシケた感があった。

 

もちろんおれたちは持ち家を諦めている。しかし、決して子どもたちは口にはしないけれど、広い家に住みたいと思っているということが今回身に沁みた。子供にとって嬉しかった思い出と共に、虚しい気持ちが残ってしまわなければいいのだが。

 

10周年のやつ

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問


** ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

最初は嫁の悪口を書いていたので、たぶんバレないだろうと思ってoreoresagiiにした(バレた)

 

** はてなブログを始めたきっかけは?

アメブロ黒歴史化したから


** 自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

親父まとめ


** ブログを書きたくなるのはどんなとき?

胸糞悪くなったとき


** 下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

やったことのあるゲームの感想記事とか、昔の嫌な思い出とか


** 自分の記事を読み返すことはある?

しょっちゅう誤字ってるので


** 好きなはてなブロガーは?

わからない


** はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

みなさん昆虫はいちおう元気です


** 10年前は何してた?

ヒモ


** この10年を一言でまとめると?

ゴミ

 

家、もういいです

ずっとずーっと家を持つことを根幹の目標として10年くらい過ごしてきた。

どうやって引っ越す金を作るか、ブラックリストを脱するには…。

 

いや、もういいです。全部諦めました。

 

隣の市に越すことが最善だと考えていたのはおれの勝手な憧れと思い込みだった。家が欲しいとしきりに言っていた嫁も、もはや諦めたようだった。

世間体にかこつけて文句を言ってくる身内にも疲れた。

 

もう全部嫌になって、少しだけ貯めていた引っ越し費用を全部使ってキャンプ道具を一式集め直してしまった。

 

キャプテンスタッグ ツールームドームテント

キャプテンスタッグ フォームマット

・アルミマット

ダッチオーブン

・アウトドアマン ファイアグリル

・コールマン キャンプチェア

・ミニテーブルx2  アルミローテーブルx1

・アウトドアマン ランタン

・カインズ 折りたたみナイフ

キャプテンスタッグ カッティングボード

・コールマン 封筒型シュラフx4

・キャンピングムーン トライポッド

・カインズ タガネ、ハンマーなど

 

15万くらいかかったんじゃないかと思う。しかし子どもが産まれてから6年以上キャンプをやってる中で、今が一番楽しい。

 

車はコンパクトにキャンプを楽しめるように嫁のラパンを捨ててネイキッドを買った(bBはそのまま)。

 

もうなんでもいいから、生活に支障がなく、子どもたちが楽しく生きていけるなら何でも良いと思った。

 

 

絶対に通らない信用情報 vs 絶対に通すと言う金融会社 vs ダークライ

子どもが小学校に進級することを機に、通っている幼稚園がある市に引っ越そうとしている。現在の賃貸には5年ほど住んでおり、別段狭さは気にしていないが、身内から「そろそろ家を…」と煽りを入れられている。もちろんおれ自身も35年ローンを組むとなれば、今年中に頑張らなければいけないことは承知している。

 

だが、嫁はおれ名義のリボ払いで事故歴を残し、奨学金の問題もあって今は車ですらカードローンを組むことができない。リボ払いをしていた会社からは強制解約されてしまったし、そこの信用情報が傷つくと他のカード会社にも色々と聞こえてくるのだろう。

 

うちが給料日の関係で半月ほど遅れて業者や光熱費の支払いをしていること、管理が杜撰すぎて電気やガスが止められたことがあること、銀行から借り入れをしたことはないが、これらの非常に不利な“属性”を自分で理解したうえで審査を通すのは相当な勇気がいる。

 

そもそも嫁と併せて400万程度しか年収が無いので、ローンシミュレーションをしても借入額の上限が家と土地の所要額に達することができない。試しに「ARUHI」というサイトで事前審査をかけようとしたら、2500万の借入額に対して奨学金消費者金融と車のローンを入力後に弾かれてしまった。

逆に何も債務が無ければ通るのかなと思ったら、2200万が限度だった。無論頭金や別途資金は無い。おれの属性を知られていない状態でコレなのであれば、審査は絶望的だろう。

 

全国銀行個人信用情報センター(KSC)が大丈夫でも、クレカのシー・アイ・シー(CIC)、日本信用情報機構(JICC)が黙っていないと思う。

先日、会社のメインバンクの窓口で、おれの“属性”をすべてさらけ出して相談した。ダメだろうという諦めから入らなければこんな荒業はできなかったが、担当者も隠す気の無さを悟ったのか、過去の様々な経験談を話してくれた。

 

<Aさんの場合>

Aさんは子どもを連れて住宅ローンを借りに来たが、あっさりと審査に落ちてしまった。しかし10年後、大きくなった子どもを連れてきたAさんは、高額の住宅ローン審査に通った。

実はAさんは離婚していて、元旦那が過去に金融事故を起こしていたせいでローンを組むことができなかったが、10年以内に事故歴が消え、上場企業に務めていたAさんと子どもは合算収入で高額のローンを組むことができたという話だった。

事故歴が消えれば通ることがありますよということが言いたかったのだと思う。

 

<Bさんの場合>

カードローンを組むことができないBさんは自分の信用情報が気になりCICに情報開示要求をしたところ、真っ黒ではないものの事故を起こしていることがわかった。

これをどうしても抹消したかったBさんは、なんと株式会社シー・アイ・シーに直接凸り、どうしたら信用情報を覆せるかを尋ね、5年や7年待つのではなく、自力で事故歴を消してしまった。

おれにここまでやれる勇気はないが、ガッツがあればどうにかなるというヒントも担当者に教えてもらえた気がした。

 

この例から学べることは話のとおりだが、“銀行は答えに近いヒントをくれる”ということもわかる。審査の有利不利などをネットで調べていたときにも、担当者は限りなく答えに近い情報をくれるという文章を見た。

 

なるほど、それくらいやらなければ現状を打開できないということか…。

ちなみにリボ払いの事故を起こしたのは4年前で、2年前に完済している。車のローンはあと1年以内に支払いを終える。消費者金融だけは払い続けているが、月に5千円程度で、奨学金は残り80万くらいある。この80万がネックで、どこの会社の事前審査でもこいつだけが引っかかってしまう。ローンを借り入れるときにこれを含んで返済することが可能であればそうしたいものだが。

 

年収300万円代で家を建てた~アパートの家賃と変わらない~なんていう広告がInstagramで死ぬほど流れてくるが、どんなマジックを使ったらそんなことになるのかと思う。であれば合算年収で400万円代のおれが債務情報を抜いた状態で審査に通らなかったのはどういった理屈なのか見当がつかない。前述した「ARUHI」という会社は、ブラックでも通ると評判らしい。これでイオン銀行もダメだったら、半生をアパートで過ごすのもやむを得ないのかもしれない。