夢と現実の狭間
次の日が長男の誕生日だったので、少し良いペンションに泊まった。
その日は今年初めて雪が本降りとなった。北へ進むに連れ風が強くなり、到着する2,30分前あたりから、車は吹雪の中を突き進んでいた。
17時からの予約だったが、16時前には黒色を塗ったような視界に粉雪が横殴りになびいていた。
中古のネイキッドにフォグランプは無く、ハイビームだと雪しか映らないので通常ライトの方が安定するという不思議な状況の中、なんとか目的地に到着することができた。
受付をしようとすると、気の良い元気なお姉さんが裏口から出てきた。
オーナーという歳ではなさそうなので、管理者が外出中か、親族か、その妻といったところだろう。
お姉さんに細かく説明されながら今流行りの装飾が施されたBARスペースや大広間を通り過ぎ、階段を登ると寝室についた。
全体的にキャンパーや登山家が好きそうなスタイルで、階段を上がるまではドルトン柄のラグマットや、大型の薪ストーブなどが配置されていて、“mont-bellの会員証があると割引!”のような札が置いてあった。コールマン派で悪かったな。
寝室前には屋根の形に合わせた空間があり、テーブルや可愛らしいイスに、少量だが本なども置いてあった。ムーミンのフィギュアがたくさんあったが、フローレンの横にベジータを並べるのはどうかと思う。
吹雪のため宿泊客は2組のみで、隣室には40代前後であろう夫婦だかカップルだかわからないペアが泊まっていた。
時間帯的に食事のタイミングが被るので、うるさい子連れと高慢ちきな40代ペアが同じ食堂にいるという最悪なディナータイムを過ごした。ちなみにペアの女の方がビタミンCの摂取メカニズムについて長時間熱弁していて、男の方はうんざりしているようだった。
その2人を見ながらの食事は最悪だったが、料理の内容は最高だった。大根とリーフレタスのサラダ、ミニグラタン、硬すぎないバケット、ラムのシチュー、デザートはクリームブリュレ(だと思う)。
ラム肉はとてもよく煮込んでいて、ナイフを使うのをやめた。野菜もシチューらしく大きめに切り揃えられ、食べやすいように皮を炙ったであろうヤーコンの薄切りは想像以上にシチューと相性が良かった。
こんなことを記していると低所得層が優雅に過ごしてんじゃねえよと思うかもしれないが、隣では1歳児が無限に食べ物を撒き散らし、前席では肉以外に手を付けない6歳児が妻に叱られていたので安心してほしい。
オシャレな食堂で、終始ガチャガチャと子どもたちが音を立てていたので、40代ペアはビールをあおると足早に出ていった。
食事が終わると陰湿なおれたちは寝室へ直行した。長男は誕生日プレゼントに買ったタブレット(Fire HD 8)を使ってファーブルの昆虫採集アプリに没頭し、次男はとくに何をするわけでもなくはしゃぎまわっていた。
おれはファイアーエムブレム風花雪月でシルヴァンとフェリクスのホモ絡みを眺め、12時を回ると長男に“ハッピーバースデイ”を歌い、潔く寝た。
もう10年近く、まともにベッドで寝ていなかった。初めて見る木製の2段ベッドで騒ぐ子どもたち、雪が降る小窓を見ながら横になる心地よさ、寝っ転がって誕生日プレゼントを見ながら会話をする楽しさ。全てが懐かしく、自分が失った感覚だと思えた。
この“余裕”が人を豊かにし、そして“余裕”はある程度金で賄えてしまうことをおれは知っている。
途中で目がさめて、そんな下らないことを思いながら明日の予定を考えていた。
翌朝、心地よく起床した。窓から見る雪原は朝焼けで照らされ、山は黄みがかったオレンジ色に染まっていた。タバコを吸いに外へ出ると、昨日のお姉さんが一人で雪かきしていた。手伝おうかと思ったが、客らしく子どもと雪だるまを作ることにした。
さらさらした積もりたての雪は、大きな雪玉にするのが難しい。東北へ来て6年だが、未だに上手く丸められない。小一時間かけて子どもの身長の半分ほどしかない雪だるまを作り終え、張り切っていたおれにはバツが悪かったが、長男は満足したようだった。
食堂へ行くと隣室の女がまたビタミンの話をしていた。暴れん坊の次男はというと今朝は機嫌がよかったらしく、食べ物を投げることもなかったので、比較的静かに朝の時間を過ごすことができた。
帰ろうとすると例のお姉さんが「帰りはどうするんですか」と声をかけてきた。家で誕生日ケーキを食べてのんびり過ごそうとしていることを伝えると、周辺施設の魅力について語り始めた。おれはすでに玄関ドアへ手を伸ばしていたので気まずく、なんとなく話題に食いついたフリをして手を離した。
やっぱりこういうタイプは苦手だなと再認識した。
結局帰ってからはのんびりして、ピザとケーキを食べたら誕生日が終わってしまった。
ペンション自体が住みたいと思っていたような理想の作りだったので、汚いアパートに帰った途端、一気にシケた感があった。
もちろんおれたちは持ち家を諦めている。しかし、決して子どもたちは口にはしないけれど、広い家に住みたいと思っているということが今回身に沁みた。子供にとって嬉しかった思い出と共に、虚しい気持ちが残ってしまわなければいいのだが。