虫の息

おれは陽気なカブトムシ

おばちゃんおじさん

インターネットを介した人間関係をほぼ全て切り払った今、ストレスの矛先がわからなくなった。というか、ストレスが溜まってるかどうかがわからなくなった。

 

思ったことをすぐに吐き出していた今までとは違い、誰かに仕事や趣味のことを話す機会が無くなった。何かを溜め込んでいる感覚もないし、イライラしているわけでもない。これが一般的な感性ならば、この状態を保ち続けていたら、どうなってしまうのだろうか。

 

少々のことでフラストレーションを抱えるようになるタイプ、永遠に愚痴り続けるタイプ、これらは”おばちゃん体質”だと思う。おばちゃんたちは旦那や身内のストレスに耐え、今のおれのような状態を保ち続けて、このような発散方法に辿り着いたのではなかろうか。おれは自分が”おばちゃん”のようになってしまうのが恐ろしい。

 

ということで、自分のモヤモヤの正体を考えることにした。

 

【暇を持て余しているだけ説】

実際全くやることがない。仕事では職場が異動してからやらなければいけないことは全て終わらせたので、一切やることがない。定例業務は5日もあれば終わる。今までは仕事中に暇を持て余すと”bosskitter"を開いていた。

現在はやることがなさすぎてエクセルを開閉したり、手打ちする必要のない計算書類の数字を電卓に打ち込んでいることもある。こういった暇の埋め合わせができないことによりリズムが崩れてしまったのではないか。

 

【ストレスを感じなくなった説】

ストレスは可視化すること・言葉にすることで初めて実感するものだと思っている。SNSで文面にすれば、脚色はつけ放題、捉え方も主観的でさぞ悲観した言葉になると思う。言葉にして愚痴れば文面にするよりも強力な抑揚がつき、そのうえ当人の感情が入ってくる。

しかし今のおれはすぐさま文面にしないし、声を上げて誰かに話すこともない。発散する環境がないという意味ではなく、ストレスを認識する場がないということ。恒常的に会社や生活の嫌な部分に目を向けて不特定多数とシェアしていた自分にとって、そもそも認識することが難しくなっているのではないか。

 

【禁断症状説】

この悩み自体が禁断症状であるということ。暇を潰せなくなり、SNSに触れていることが常となっていた今までとの生活の差が自分をモヤモヤさせているのかもしれない。あまり言いたくはないが、Twitterをしているだけの(最悪な)夢をよく見ていた。3月頃にやめたのだが、GW手前までは週イチくらいでそんな夢を見ていた。別に無理をしてやめたわけではないが、習慣化して生活の一部となったものを脳が欲しているのだと思う。

 

【個人の関わりが無くて寂しいから説】

これは全く無い、と言えば嘘になる。長年ほとんどの人間関係をSNSのみで築き、最初に出来た彼女はアメブロだし、ツイッターでも良くも悪く様々な人間関係を持った。SNSではないがPSO2経由で結婚したこともある。他の交友関係もインターネットの中で培ったものばかりだった。

横須賀を離れたことで地元の友達と会うことは難しい。宮城の会社で仲が良かった人たちはみんな辞めてしまった。しかしツイッターをやめた後も交流が深かった人たちとはゲームで遊ぶし、なんなら実際に遊ぶこともある。ただ、やはりあれほど盛り上がっていたコンテンツを手放したのだから、何かしらの代償はあるのだなと思う。

 

上記のように色んな想像をしてみるが、この全てが当てはまっている可能性は大いにある。これらを全て解消する術として「読書」を選ぶのは少々可笑しく思うのだが、何もかもを忘れて小説の世界に浸るというのは、他の物事をシャットアウトするという点では良いリフレッシュになっていると感じる。ただストレスを解消している気分にならないので、何か方法を考えないと前述した”おばちゃんおじさん”になってしまう。それだけは避けたい。

 

※追記※

親父に”読書は人生を豊かにしてくれる”と幼い頃から言われていた。中学生頃からひたすら興味のある本を読んでいたが、結果的に話し方が小難しくなったりキモい知識がついただけで、一生中二病の治らないおじさんとなった。現在失語症のような症状(語性錯誤など)が続いているし、何事もほどほどがいいのだと子どもたちには伝えたい。今思えば豊かな人生を送っていない人にそのような教えを説かれていたのは、なんとも滑稽な話である。