虫の息

おれは陽気なカブトムシ

デジタルデトックス

デジタルデトックス、という言葉がある。

都内勤めで意識が高い感じの女さんたちは週末の仕事帰りにそのままキャンプに行く、なんて話を以前何かで見た。

 

カタカナのおしゃれな言葉を使っているが、詰まるところネットでの人間関係の疲れやパソコンでの仕事から解放されるという意味合いだと(勝手に)思っている。

 

おれがTwitterをやめた理由は以前記載した通りだが、デジタルデトックス笑に似た効果が出てきたので親愛なるみなさんにも伝えておこうと思う。

 

①仕事に苦痛を感じなくなった

SNSにどっぷりと浸ってきた十数年間はフリーターや契約社員、もちろん現在の仕事をしている期間にも食い込んでいるわけだが、狂いそうになるほど仕事に不満があった。おれ自身が仕事、というより社会が嫌いなこともあるが、それ以上に他人の生活と比較してしまっていたことに原因があった。当たり前だが他人の生活が見えなければ比較するものも無い。

真実を知らないプロレタリア(?)に意図してなったが、知らないほうがいいことはこの世にはたくさんあると今回実感した。

 

②ゲームに没頭しなくなった

追加情報や広告を見なくなったせいか、全くゲームをしなくなった。モンハンだけはやってるけど、アプデが来たら少しやる程度となってきた。

昔からゲームだけは自分の居場所と思っていたから、これだけ離れることができたのはもはや奇跡に近い。アニメは気に入ったもの(今期は不滅のあなたへメガロボクス2など)を少し見るくらいで、一斉録画やとりあえず見てみようということはやらなくなった。デジモンポケモンは毎週子供と見ている。

 

③自分の時間が増える

オンラインプレイや集中しなければクリアできないゲームなど、詰めてやるゲームをしないことで、相対的に自分の時間が増えてきた。ゲームをしないだけでこれだけ時間が増えたように感じるのは、かなり新鮮な体験だった。

SNSにかじりついていた頃は朝から晩まで端末をいじり、面白いことを思いついたらところ構わず投稿していた。これは仕事中も在宅中も同じで、子どもたちにどれほど寂しい思いをさせてきたかがわかった。また、スマホをいじりながら横になったりすることもなくなったので、夜ふかしもすることがなくなった。ブルーライトのせいで眠くならないというのは本当なのかもしれない。

 

子どもたちが完全に寝静まる21時頃からは、昔からの趣味だった読書をしている。子どもが生まれてからは機会を失った本たちが押入れに埋もれているので、引っ張り出しては読みを繰り返している。嫁の本もたくさんあり、映画でしか見たことのない「そして、父になる」を今日読み終えた。

 

④精神衛生の管理

つらいこと、悲しいことを即座に呟くと、誰かが反応してくれるのではないかという期待が生まれる。そして期待が裏切られたときにもっと苦しくなるというのを繰り返してきたが、これほど無意味なこともない。

最初は興味本位でタバコを吸って、やがては脳が恒常的に欲するようになり、タバコを吸う頻度が上がっていくというような悪循環がある。タバコは今も吸ってるけど。

ただ上記のような悪循環は誰かの反応により一時的に解消される。そのほとんどが同じ悩みを持つ異性との交流で、想像に任せるが良い関係になったことは一度もない。これを繰り返していくことで人間関係がグチャグチャになり、”みんなで保健所に行こう事件”※のようになることもある。※知っている人だけわかってください。

 

総括として、やはり他人と比較しなくなったことが一番大きい。誰かの年収や高そうなディナーが目に入ることもなくなった。「いいなあ」という嫉妬や羨望が断たれ、現状に満足するようになった。確かに良い車に乗りたい、一軒家に住みたいという願望は今でもあるが、それは目標に変わった。別にパガーニやアストンマーチンに乗りたいわけではないし、1億の家が欲しいわけでもない。

2児の父で毎日家族と楽しく過ごしてますと、それだけで十分な質を持った生活だと思う。これを面白がろうが叩かれようが、もう違う畑のことなんだから何とも思わない。