虫の息

おれは陽気なカブトムシ

3月にツイッターをやめて、4ヶ月が経とうとしてる。

 

5月くらいまでは頻繁にツイッターをポチポチしている夢を見ていたのだが、最近は全く見なくなった。…と思いきや、今週に入ってから毎日のようにツイッターの夢を見ている。

 

SNS"をやっている夢”と検索すると、若い層では炎上する夢や、リプライをしているだけの夢を見る人がいることがわかった。夢占いにまでSNSが登場するような時代だが、おれと同じように禁断症状として夢を見る人も少なからずいるらしい。

 

おれが見る夢はくだらないことを書き込んでいるだけの夢で、例によって「こんちゅ~っすw」とか「タイ人っぽい新卒が入ってきた」とかいつも通りの内容で、別段ネット恋愛や炎上みたいな要素が入ったものではない。単にくだらないことを言いたいというだけの欲求が見えるしょうもない夢を連日見ている。

 

”聞いた話”だが、薬物の離脱症状で寝ている間に宇宙を抜けて神に会う体験をする人がいるらしい。この場合はその感覚が懐かしい、恋しいというわけではなく、脳に染み付いた刺激的な記憶を追体験しているだけだと思う。

ツイッターをやっているだけの夢を見るのは、どちらかというこれに近い。十数年やっていたSNSを手放したことにより、脳が日常を追体験しているのだ。

 

ゲームも息抜き程度にやるし、言ってしまえばこのブログもSNSだし、アルバム的な使い方をしているインスタグラムもSNSなのだ。禁欲主義にいきなり走ったわけではなく、何事も適度にという部分を念頭に置いている。

 

ただ、ツイッターだけは適度な使い方ができる気がしないからしていないわけで、畑で農作業をすれば「夏が過ぎおれはごみ」とつぶやくだろうし、日本学生支援機構から督促がくれば「夢ならばどれほどよかったでしょう(画像)」と送信するのは想像に容易い。投稿する頻度が常軌を逸してしまう。

 

他にもメンヘラに声を掛けられて異常に仲良くなってしまったら…食料が無くなったら乞食してしまうかも…家をクラウドファンディングで買おうとしてしまうかも、と低きに流れる可能性も危惧している。というかここまでいかなくても近似したことは何度もやっている。

 

最近、いかに自分が承認欲求に飢えているかを感じている。職場で面白いことを言って人を笑わすようになったが、それがエスカレートしてしまうことも怖い。笑わすのに飽きて黙っていれば現実の人間関係では「どうしたの?」「元気なくない?」と大体言われる。昔もそういうことがあった。

 

現在の自分のキャラクターは面白い発言をたまにして、いじられたり、明るかった小学生の頃に戻ったような気分で心地よい。しかしそれが崩れてしまったとき、まともな精神状態を保っていられるのか。

 

SNSの長所は、自分がどういう感情で何を言おうが、脅迫などを除いて発言の自由があるところだと思う。何も考えないで「んちぶり」とかつぶやいても誰にも何も言われないが、実際にいきなり「んちぶり」と言い放ったら恐らく収拾がつかない。くだらないことを言いたいという欲求が何に起因しているのかはわからないが、とにかく寂しさは感じている。

 

 

追記:夢の中で奨学金の督促が来て「夢ならばどれほどよかったでしょう」ってつぶやいたら夢なんだから良かったじゃんってなるね。