虫の息

おれは陽気なカブトムシ

ベランダ

まだ実家があった頃、いつもベランダから外を見ていた。

 

うちは3階建てで、親父が6000万近いローンを組んで無理やり建てた家だった。真横には京急の高架線が走り、鉄オタの友人が「あ、2100系だ」と言いながらよく写真を撮っていた。

 

鬱病の最盛期には何も食べられなくなり、精神状態もおかしかったのでベランダから外を見ると泣いてしまうことがあった。

昔使っていたガラケーのカメラロールを見ると、ベランダから撮った写真が何十枚も保存されている。

 

母がいた頃、このベランダには無数のラベンダーやミントが植えられていた。品よく、かわいい植木鉢に入れられて管理されていた。

離婚してからは祖母がネギやトマトなどの野菜を育てていて、汚い発泡スチロールに入れられていたが本人は楽しんでいるようだった。

 

三浦半島や房総半島は、台風が反れるときにちょうど暴風域が直撃する。

今年も例年のように台風が来ていた。

8月の終わり、夏の嵐というような強い台風だった。

 

その夜、親父が帰宅すると「土が流れて詰まるからベランダの野菜を全部処分しろ」と祖母に言った。

祖母は台風の中、必死に野菜を片付け始めたので、親父が勝手に言ってるんだから放っておけよとおれは言った。

しかし殴られるからという理由で聞く耳を持たず、1時間ほどして様子を見に行ったら祖母が地面に突っ伏す形で倒れていた。

 

祖母の脚は変形していた。膝の関節がずれてそのままくっついたような様子だった。それから祖母は思うように動けなくなり、家の中を立ち膝で移動するようになった。数年後にボケてしまったが、その脚は死ぬまで治ることはなかった。

 

夕焼け、電車、街並み、ベランダから見る風景はいつも寂しく感じるものだった。台風が来ると今でも一層やるせない気持ちになる。

 

部屋とガンプラと私

小学校2年生から約20年間、定期的にガンプラを作っている。

 

もとはジュウレンジャーカクレンジャーなどの動物系ロボットが好きで、最初はゾイドにハマった。何を思ったか塗装しようとしたことがあり、大工だったじいちゃんのペンキを借りてベージュ色のクソダサプテラスを作った。しかし残念ながら分厚い木材用の塗料だったので、ゼンマイを回してもギチギチと震えるだけの障害者プテラスとなった。

 

主なきっかけは旅行先で買ったSD武者頑駄無だったと思う。なぜ伊豆の旅行でプラモデルを買ったのかはわからないが、やたらと変形するナタクだったことは憶えている。ガンダム自体はリアルタイムでGガンがやっていたから知っていたが、武闘伝ではない本流のガンダムのことは知らなかった。

 

ガンダムってなんだろう?というそれだけの理由で、後におれが万引きのしすぎで潰れることとなった模型屋に行くと、所狭しと色んなプラモデルが積んであった。通路以外は全てプラモデル、レジ前には塗料という昔ながらの模型屋だった。

 

とりあえずガンダムナタクを探してみた。それっぽいやつがありすぎてわからなかったが、見た目が近いやつを見つけた。

「アルトロンガンダムカスタム」…

名前は違うが武者哪吒とほぼ同じデザインだった。しかしおれが好きなのは武者哪吒であり、コレジャナイ感がすごかった。

 

一通り眺めていると、やたらとガトリング砲がついていたり顔が半分ピエロのこじらせた機体があった。これだなと思い、ヘビーアームズカスタムを購入した。シールを貼ったりカッターでバリを取るのはメダロットミニ四駆のおかげでそれほど苦ではなかった。順調に組み上げてポージングをしようとした瞬間に膝からヘビーアームズが崩れ落ち、うまく作らないとこういうものか程度にしか思わなかったが、よく見ると足の関節が片方逆に曲がっていた。

 

ADHDである。子供だからこうなったと思うなかれ。おとといからHGUCF91を組んでいるが、足のPCパーツを逆に入れてしまいペンチで無理やりこじ開けた。もうじき30歳になるのにこれなので、小学生からなにも変わっていない。

 

それからすっかりプラモデルに魅了され、墨入れやヤスリ掛け程度ならやるようになった。ガンダムというもの自体はよく知らなかったが、従兄弟にもらったスパロボα外伝のおかげで深く掘り下げることができた。エンドレスワルツも登場してたし。

 

手先は器用な方だと思っていたが、プラモデルは全く上達しない。いくら塗り方を見ても真似できない。ガンダム系の目はずっとシールだし、目消しだってヤスってパテ埋めなんてワザはできない。

 

子供が生まれてからもずっとプラモデルを作り続けてきたが、この前F91を作ってほしいと初めてお願いされた。面倒くさいなと思いつつ、小学生のときに作ったF91が旧式のキットで何もしないままお蔵入りしたという記憶があるので、今回は頑張ってやろうと思い作ることにした。

 

幼いころからヘタクソなりに作ってきたおかげで我が子がロボットを好きになってくれたのは嬉しい。ワクワクしている様子の子供を見ていたら、無邪気なころの自分もこういう顔をしていたのかなと少し感傷に浸ってしまった。

 

幼虫vs昆虫

幼虫はごはんを食べるのが苦手で、何も言わず放っておけば1時間くらい遊んだり食べたりを繰り返している。

 

現在4歳で、2歳くらいの時からこのような状況が続いている。なんとかしてあげたいので時間を決めて食器を下げるなどしていたが、食べたくないものを床に落としたときは叱っていた。おれたち夫婦もストレスの限界が来たときは怒鳴ったりしてしまっていた。

 

いわゆるグレーな子供という認識はあるが、学習や音楽に関しては人並より秀でているので、得意なことがあるなら別にいいと思っている。しかし集団行動は苦手であり、職員室から様子を見ていると1人だけ下を向いて虫を探していたり、呼ばれても遊んでいることが多い。それでも最終的には合流できるので担任からも問題ではないと言われていた。

 

食事について担任から相談されたのはつい最近のことだった。給食を一口二口しか食べず、おやつだけはすぐに食べるということだった。また食事だけではなく日常生活にも支障が出てきていて、すべてにおいて集中力や積極性がなくなっていると言われた。これは自分のせいだと思い、昨日から対応方法を変えてみた。

 

まず、選択肢を与えないこと。ストイックにというわけではなく、パラドックスが起きないようにした。

例えば片づけをしてほしいとき、幼虫がまだ遊びたいと言う。「じゃあ遊んでもいいよ、でも残ってるおもちゃは掃除機で吸っちゃうからね」という脅しをかけた場合、幼虫視点で見れば①片づけ②遊びという選択肢が出るが、実質②は消失している。こういうことを繰り返してしまうと、幼虫に「〇〇したい」という意見をもらうこともできなくなってしまうし、このケースで考えれば「遊んでもいいよ」と言うだけでおもちゃが吸われてしまうことを察して泣いてしまうと思う。このようなことをしている親は多いのかもしれないが、気持ちの整理が苦手な子に対してはマイナスしか生まないのかもしれない。

 

実際上記のように泣いてしまうことが増えてきた。個人的な見解だが、片づけてほしければ遊びたいという意見は完全に否定してあげないと頭の中で整理ができなくなるのかと思う。

 

次に、甘やかすこと。これも決して極端な意味合いではなく、あくまでも恐怖感を消し去ることを目的とする。

今までは飴と鞭で、ごはんが食べれたらおやつをあげるよ、早く起きれたら遊んでもいいよというやり方をしていた。よくよく考えたらこれは全て食事に結びついていて、早く起きても朝ごはんを食べることができなければ遊ぶ時間はなくなるし、夜はデザート(おやつ)も食べられなくなってしまう。休日に朝昼ごはんをゆっくり食べていれば出かける時間もなくなる。

 

おれもそうだが白米があまり食べられないし、食べること自体が好きじゃない。自分と同じであれば幼虫もそういう体質である可能性があるので、実験的にごはんを少なくすることにした。量が少なければ食べ終えて達成感を得ることもできると思う。達成感を得る前に食べることをやめてしまっては意味がないので、集中力が切れたら指摘せずに親の手で食べさせてあげることで、安心感を持たせることができる。

最初は嫌がっていたが、今朝は「食べさせてくれてありがとう」と言われた。感謝するということは、やはり食べることが難しいと感じているからなのだと思う。

 

睡眠時も早く寝ろと言うのではなく、寝るまでゆっくりと時間を取らせることにした。幼いころ経験があると思うが、ソファなどでまどろんでいると徐々に眠くなり、親に寝室まで連れていかれる。そして添い寝の温もりの中で入眠するという幸せなリズムがあるが、2号が生まれてからこれを疎かにしてしまっていた。おれも実家が燃やされるまではそういう生活をしていた記憶がある(笑)。幼虫と一緒に寝てしまうと妻は不機嫌になるが、これも幸せの一角だと思っている。

 

叱り方については泣かせないようにするのが精一杯というところで、なるべく本人を傷つけないような言い方や言葉遣いをするようにした。今は情緒不安定なので注意するにしても何を言っても泣きそうになり、大変難しい。

 

基本的にはおれが思った通りの子供に育っていると思う。面白いし優しいし、ポケモンや古いアニメも大好きな子になった。運動は一切できないが、イカしたドラマーになってくれれば本望だ。

 

 

事務員のジレンマ

神奈川から宮城へ越してきて、およそ6年が経つ。もともとパソコン関係の専門学校を卒業し、ヒモやフリーターも経由したが、まともな仕事をしていた時期はデータ処理やビリングをしていた。

 

宮城に越してきたあともそういった関係の仕事をしたいと思っていたが、田舎のド真ん中であり、IT系(笑)の仕事をするためには仙台市まで出る必要があった。

 

ここで第一の関門に当たる。

どの求人を見ても「普通自動車免許必須」という記載があった。横浜横須賀で働くうえでは、そもそもよほど僻地に住んでいるか好きな奴以外は車の免許なんて持っていなかった。路線は縦横無尽に走り、久里浜から東京までだって京急横須賀線などの足はあった。

 

しかしここは見渡す限り田んぼしかない。仙台市まで片道25キロくらいだが、1日に数本しかない高速バスか、泉中央から電車で通うしか術はなかった。

仕方なく嫁の祖父母から金をもらって自動車学校に通い、卒業したらすぐに原付を手に入れた。近場ですぐ働けそうなところを見つけたかった。

 

データ系の仕事がないのはわかっていたのでせめて事務系を探していたわけだが、女性しか募集していなかった。

しかも給与はせいぜい12万程度で、扶養などで引かれたら10万も満たないのではないかと思う。

 

ここで詰んでしまったおれは、田舎には土建屋しかねえど!という義父に言葉に従い、一念発起で鉄骨の運び屋を選んだ。イベント設営系だったが、夥しい量の鉄骨やテントを運び、ユニックで数百キロもある足場を吊るなどオタクにはとてもつらい内容だった。

 

2週間ほど働いたころから体の様子がおかしくなった。いつも通り鉄骨を肩に上げて運んでいると、全く力が入らなくなってしまった。嫁や子供のためだと踏ん張ってみても、びくりともしなかった。実は最初の数日で体の限界を感じていたおれは、その場で泣き崩れてしまった。家族のためと思っても体を動かせない自分が情けなかった。その日は早退し、椎間板ヘルニアを患っていたことも発覚し、結局辞めてしまった。

 

次の仕事は胡散臭い派遣会社の正職だった。免許を取って1ヶ月程度だったが、いきなり仙台市の外れまで通うことになった。

安い軽(マツダスピアーノ)をすぐに買い、翌日から往復50キロ以上を運転することになった。スピアーノはかわいそうなことに出勤初日から大型トラックに当て逃げされ、購入後2日で運転席のドアにバルログに切り刻まれたような傷ができた。

 

ここの会社はかなりヤバく、常務の横領がバレて1年足らずで退職することになった。スピアーノは犠牲になったのだ。

 

次の職場は絶対事務系にしようと思い、田舎にしてはそれなりの待遇の会社に応募した。応募期間が切れてしまっていたが、身内に知り合いがいたらしく面接と試験はさせてもらえることになった。田舎は狭い。

 

黒いモグラみたいな顔をした金の話しかしないじいさんが面接官だった。創作の物語を書かされたり、簡単な打ち込み作業をさせられ、1時間程度で終わって翌週には採用になった。

 

これが現在の職場となる。

しかしやっと事務職ができると喜んでいたのも束の間、軽トラで米を30袋運んでくれないかとの指令をいただいた。その日は雨で、濡らさないように詰め込み、ブルーシートをかけながら慎重に運んだ。マニュアルも初心者なので2回くらいエンストしたと思う。昼から19時ごろまで走り回り、150キロくらい走った記憶がある。宮城の道もわからないのでGoogleマップを頼りになんとか運びきった。

 

こういうことがしょっちゅうあるわけではないだろうと高を括っていたのだが、その後も土を運んだり刈った芝を運んで捨てに行くなどほとんど土建屋と変わらない業務をやらされた。鉄骨の運搬は絶対に避けたかったが、行事があると定期的に運ばされる。なんなら朝から運んで1日帰ってこない時もある。

 

結果、米30キロも持てなかったオタクの上腕は徐々に太くなり、背筋や肩周辺がパンプアップされたせいで服のサイズが物によっては2サイズくらい上がってしまった。体重も10キロ以上増えたが見た目は変わらないのでおそらく筋肉なのだと思う。

 

もう筋肉も要らないし荷締めの技術も要らないから、事務仕事だけをさせてほしいと切に願う。

 

親父まとめ2

 

①おれが法律だ

・小学生のときに「こんな家庭普通じゃない、おかしいよ」と泣きながら言ったら返ってきた言葉。司法書士でも取ってから言え。

 

②おれを倒すことができたらな

・高校を卒業する頃に家を出たいと伝えたらキレられ、ベランダで決闘した。思い切り前蹴りしたら予想以上に吹っ飛んで、驚いてるうちに大外刈りで抑え込まれ実質敗北した。

 

③小僧ォォォォ!!!

・上に同じくおれが前蹴りしてキレた親父が生んだ名言。

 

④継続は力

・一見よく聞く言葉だが、親父は一度も何かを継続したことがない。一緒に暮らしているときに5回も転職して家のローンが払えなくなった。

 

⑤葉山に家を買いたい

・葉山に行くたびに聞かされたが、貯蓄がマイナスの人間が叶うはずもなかった。ほぼ毎週末葉山に通っていたので、5歳から15歳までの10年間聞かされていたとしても500回〜600回くらいは聞いていることになる。

 

⑥日本人はもうだめだ

・離婚したての親父が酔っ払うたびに吐いていた戯言。結果フィリピン人にハマり、知っているだけでも200万くらい貢いでいる。ちなみに戸籍謄本を取ったときに2年間だけ結婚していたフィリピン人の母親の記載があった(カタカナ20文字くらいの名前だった)。

 

⑦問題が、有ります

・言わずと知れた名言。響きと違和感のある表記だけでなぜかおもしろい。

 

⑧連絡、ください(連絡ください。)

・句点と句読点の違いだけで笑いを生む魔法の呪文。

 

⑨あなたにも係ります

・係わりますが正解なのか関わりますが正解なのかわからなかったが、悔しいことに関係するという意味合いで実は正しい可能性がある。

 

⑩(前略)命を頂戴、致します(以下略)

・自分が資産として保持しようとしていたアパートが実妹の手回しによって奪われてしまい、殺意の波動に目覚めた親父渾身の一言。命の有無は如何に。

 

 

 

 

親父まとめ1


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籍を抜く話で顔文字を使うな。

 

 

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内容を言え。

 


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係わります(?)

 


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椎名林檎Coccoでも聴いたのか。


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実母が死ぬ実況をするな。

 


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十数年も殴られ続けて味方だと思えるかアホ。

 


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ばあちゃん死ぬ前に名義変えないからだよ。

 


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医療費出せなくて安楽死させた犬を綺麗事で片付けるな。

 


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おまえは最初からだめだったろ。

 


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63年も生きててやっとわかったのか。

 


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カニクリームコロッケ関係ないだろ!

 

 

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人を殺したかもしれない人間を家に呼べるか。

 

以上