虫の息

おれは陽気なカブトムシ

幼年期の終わり

 

「物心ついてから死にたい」で検索すると、おそろしい数のエッセイ(主にまんさんが書いたもの)が出てくる。

 

この手の文章を読むと、確実に“自分は特別である”という内容が婉曲的に綴られている。

周囲に聞いたら誰もそんなことを思っていなかった、親に聞いたら驚かれたなど、年齢層も内容も様々である。

多数の人間が意識していない部分に気づいてしまったというある種の優越感に溺れてしまうのだろう。

 

ネグレクトやその他虐待によって生じた境界性云々ではなく、まっすぐに育てられた女の子たちが死にたいと連呼する理由は何か?そのほとんどは人間関係によるトラブルや気分による一過性の感情らしい。

 

この感情は、人が永遠という概念を理解できるがために、永遠でないものは終わらせられるということもまた理解することができることによって生まれる問題であり、同時に耐え難いジレンマでもある。

 

小学生のときに対戦ゲームで負けそうになるたび、リセットボタンを連打するやつがいた。

失敗や負けることが怖いからリセットしようするのは、現在いずれ終了する(永遠ではない)ゲームを遊んでいることを理解しているからである。

スマブラ初代のリザルト画面に入る瞬間に消すやつはマジでやめてほしかった。

 

なぜ生きねばならないのかという問いに対する答えが明確に存在しないことを、人間は直感的に知っている、という話を聞いたことがある。

永遠に答えが見つからないという事実を“直感的に”理解しているのは、遺伝子的に備わった自己防衛機構だと思う。

つまり前述したまんさんたちは、気づかない限り意識することができないという神が閉ざした禁忌に触れてしまい、結果的にこじらせてしまったのである。神が閉ざした禁忌!

 

上記の理由により、「これ、私だ…」「みんな死にたいって思ってないらしい」「普通じゃないかも!?」という驚きに似た気持ちが芽生えてしまう。もとい、中二心をくすぐられてしまうのである。

 

おれも小5くらいからずっとつらくて、なんなら今でも苦しい。無理だと思っていても、家族がいるとわかっていても、頭の隅の希死念慮が消えてくれない。

 

高校生のころ、人はなんのために生きているのかという疑問について毎日考えていた。

この時点で相当アレなのだが、世界史を専攻していたこともあり、トルストイなどの哲学書を読みまくっていたせいで思い出すのもつらいほどのキツさだった。

偉大な哲学者たちの意見には当時の世界情勢や宗教観などが絡んでいて、あまり参考にはならず、自分のおかれている環境が考え方に与える影響というものは恐ろしいなと思った。

 

次第に、自発的に考えた目標が生きる意味そのものになることがわかってきた。幼児期から目先の目標立てや将来の夢を考えさせることは、教育指針の基礎である”生きるちから”を育てる第一歩なのかもしれない。

 

じゃあ、目標がない人間は?これを考えた結果、「種の保存と繁栄」という結論に辿り着いた。

 

この話をしたら「そのために子供を作ったってこと?」と言われたことがあるが、そう短絡的なことではない。

子育てである。種の保存=子を残す、種の繁栄=子孫を育むこと。

家族と共に時を過ごし、子を成長させ、見守る。そして子が子を残し、繋いでいく。

 

これは生物の摂理であり、すべての生きとし生けるものが生涯を通して成し得なければならない目標である。つまりおれが考えて辿り着いたのは、人間も一生物であるからには、生物としての普遍的な目標は同じという理論だった。

もちろん既にアイデンティティの獲得に至っている人にはこんな極論は必要ないと思う。

 

指標や道筋を持たない人間にとって、アイデンティティ形成におけるモラトリアムは苦痛でしかない。自分自身ずっとやりたいことや目標がなく、32歳になろうとしている現在に至っても全くやりたいことが見つからない。

 

結婚して子供が2人いて、家族と暮らすこと自体がアイデンティティの獲得に繋がりつつあると感じているのだが、妻には「父親」になりすぎて旦那では無くなってしまったと言われた。

それはそう。家族全体を考えるのが親であり、個と個だけの関係ではないと思っている。彼氏→旦那→父と進化するわけではなく、それぞれが別の名詞であり、違う生き物なのだと思う。

 

しかしながらおれは紛れもなく父であり、父として家族と過ごし、楽しみ、子を守り育てていかなくてはならない。妻が倒れたり生活能力がなくなったりしても、おれにはそれを補えるほどの生活力や子を育む力が必要なのだと思って今まで過ごしてきたが、おれのそういった態度を妻は好ましく思っていないように見えるので、もう少し人を頼って支え合う姿勢を加味していけば、それが父と同時に「旦那」である生き方の獲得に繋がっていくのではないだろうか。